カテゴリ:ふるさと雑感( 51 )

 

ふるさと雑感

けんぼうの夢想話

千両役者

毎年秋になると行きたいところがある 紅葉の涸沢である

最近テレビで日本百名山の番組とか ○○の絶景 とかの番組を目にするが

秋の紅葉シーズンになると 紅葉の名所として涸沢もよくでてくる

そして涸沢だけでなくもうひとつ

涸沢の上にある北穂高岳の山頂にある北穂の小屋である 
そこでうまい酒を飲みたくなるのだ

3100mにある日本一の酒場である


その日本一の酒場に学生時代の友人とやって来た

涸沢を午前5時に出て奥穂高岳 涸沢岳を経て北穂高岳の頂へ午後1時ごろについた
あしかけ8時間の行程である

山頂は雲の中おまけに風も強い こういう時は小屋の中でのんびりするしかない

テレビもラジオもないので夕食まで寝ていることにした

2時間ほどウトウトしただろうか 夕食(5時半)前になり まわりが騒々しいので どうかしたのかと思っていたら

友人が 槍が見えるという

槍が見える! それならと 布団から起きだして小屋の前のテラスに出ていった

すでに数人が手に手にカメラを構えている

槍ヶ岳のほうを見ると 槍ヶ岳はまだ雲の中だが

西の空にぽっかりと穴が空き 青空が見え そこから夕日が射している

しばらくすると槍ヶ岳にかかっている薄絹のような雲が

谷からの風に吹き上げられ だんだんと切れだした

そして槍の頂が少し見えてきたら 隣にいた栃木から来たという元気なお兄さんの

でろでろ と掛け声の大きいこと

さすがの槍ヶ岳もその声に圧倒されたのか 頂だけで なかなか姿を見せてくれない

その頂もすぐに湧き上がる雲にかくれた

しばらくして また頂が出てきたかと思うと すぐ雲にかくれる

今度は足元が少し見えたかと思うと すぐ足元から湧き上がる雲にかくれる

そのたびにお兄さんの掛け声が大きくなる でたでた とか でろでろ とか

寅さんの映画にありそうな ドタバタ芝居のような騒ぎである

風が強く寒いなか待つこと10数分 やっと気を揉ませる雲の妖艶なショーが終り

槍ヶ岳が姿をあらわした

全身に夕日を浴び 穂先がすくっと天空を指している 一分の隙もない

いよー まってました と声をかけたくなる


その晩は日本一の酒場で栃木の元気なお兄さんといっしょになった

お兄さんがテーブルに出したのは お手製の梅酒と 自分で作ったという大きなピーナツを茹でたものだった 3100mの頂で大きなピーナツに出会うとは!

つい1週間前地元の十五夜の綱引き会場で 焼酎のつまみに 珍しいものがあると

でてきたのが 茹でた大きなピーナツで それがたいへんうまかった
またお目にかかるとは 面白いものである

それにしても自分で作った酒とつまみを 3100mの頂まで持って上がり

味わう酔狂な人がいるとは ……

酒の方もビールからお兄さんの梅酒 そして最後は芋焼酎のお湯割りとなり

もう一杯と 閉店近い時間まで とりとめのない山の話で盛り上がった


すっかりいい気持になり このぶんなら明日もモルゲンロートの槍ヶ岳が拝めると期待して寝たのだが

そんなにうまくいくはずがない 明け方屋根をたたく雨音で目が覚めた

思わず 雨かぁ という言葉が口からでた

雨となれば怪我のないように慎重に下りるだけである

雨が強くならない前にと 合羽を着こみ小屋を早めに出た

岩尾根を友人が先に行き 私があとから慎重に下りていく

年がいくと登るより 下りるほうがやっかいになってくる

日本百名山踏破に あと吾妻山一つという山の猛者の友人だが

この数年膝が悪く 両手に杖(ストック)を突いている

私も彼にまねて ストックを使うようになったが まだ2回目であり 上手くいかない

雨の岩場は滑りやすく 途中鎖場や長い鉄梯子もあり 気をつかい体力も消耗する

そして日頃の鍛錬が足りないようで 下りるうち次第に太ももが麻痺して

力がいらなくなってきた 下りのなんでもない所で転ぶこと2,3回 
友人にかなり遅れ 這う這うの体でなんとか横尾にたどりつく

横尾までくると雨も止み 合羽を脱ぎベンチでいっぷくし一息ついた

この先は上高地まで転ぶような下りもなく ひたすら歩くだけである


黄や紅に紅葉したダケカンバ
カツラ カエデに彩られ

砂糖を焦がしたようなカツラの黄葉の甘い匂いのする梓川添いの道を

友人と前後して黙々と歩く

ここまで来ると 山の上とは違い 張りつめていたものも緩み

歩きながら口数も多くなり 今回の山行や あの頃のことなどを

あーだった こーだったといいながら 軽口も出てくる

それにしてもこの道は あの頃から変わってはいない

行きかう人も相変わらず多い 我々シルバー組から若者まで 
そして外国の人々までいろいろである
ときたまヘルメットをリックの上にのせた若い娘さんの一人、二人組にも行きかう

我々の頃はまだ山男の時代だった

山登りに対する考え方が変わったということだろうか

人はなぜ山になぜ登るのか この素朴なことを先に行く友人に訊いてみたくなったが

後姿が まだまだ より高く といっているようで

あまりにもバカバカしいのでやめた

頭のなかを あの湧き立つ雲と槍ヶ岳 をはじめ

いろいろな情景が次から次へ駆け巡っていく

そして疲れ切った身体に 終わったという大きな安堵感と充足感があり

その一番真ん中にあるのは 彼と46年ぶりに この道を歩いているということだった



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by minnamiya | 2017-10-29 10:16 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感



けんぼうの夢想話

 なんとなく


 愛燦々と という歌がある 美空ひばりが30年前に唄った歌で 小椋桂の作詞作曲で 人生は妙味なものだという いい歌である なかなか燦々(さんさん)と読めるものではないが この歌を聴くたびに さすが古今東西一の歌姫だと思っている美空ひばりだし 小椋佳の透明で潤いのある品のいい世界が広がってくる 

今でもカラオケで唄う人も多いようだ

この 愛燦々と を含む美空ひばりの歌を 中秋の名月の日(10月4日)
私の住んでいる川畑の 15夜大綱引き大会 の会場でBGMとして流した

小さな田舎のイベントではあるが 4年前から屋外用の本格的なPA(音響装置)を使うようなり 会場の雰囲気が格段によくなった

夕方会場の準備が終り PAのテストを兼ねてこのBGMを流してみた 
美空ひばりの屋外コンサートを聴いているような 臨場感があり迫力満点である
港町13番地 の軽快な歌で始まり 旅笠道中 そして 愛燦々と と続いた 

この 愛燦々と を聴くうちにアレッと思うところがあった 

○○タチハ ヤサシクマツゲニ イコイ という歌詞のところである

これまではハトたちが空を飛びまわる様を歌っていると思っていたが 

どうも○○がハトとは聞こえないし ハトたちがまつ毛にいこう?  どうも違うようだ
2番になると ミライタチハ ヒトマチガオシテ ホホエム と聞こえた
ミライタチ? とはどういうことだろうか思い 

スマホで歌詞を検索すると 便利なものですぐに出てきた 

1番は 過去 で2番は 未来 である なーんだそういうことか

歌詞を見てやっとその意味がわかった

~人は悲しい悲しいものですね~それでも○○たちは~ にいこう の歌詞の前後から
○○をハトであると勝手に思い込み ハトが空を飛びまわる様を思い描いていたのである

過去の人たち 未来の人たちと するとよくわかるのだが 
そうすれば説明調の変哲のないものになり 歌詞としての緊張感がなくなる 
それが詩であるし 小椋桂の世界であるのだろう


話は大きく変わるが イッショケンメイということばがある 
あの人は
○○にイッショケンメイだというように 日常会話でしばしば使われている

そのイッショケンメイについて ある本を読んでいたらいがいなことが書いてあった

これまで漢字でかけば 一生懸命だと思っていたが 一所懸命であるという

辞書によると 全力をあげてものごとに打ち込む様 
賜った一カ所の領地を生命にかけて生活の頼みとすること だそうだ

およーょー である 人生の第4コーナーを走るころに知るとは 

4字熟語を勉強している受験生ならば分ることだろうが 

そんな一所懸命な頃はもう半世紀前になってしまった

振り返ってみると 思い込み かん違いがなんと多いことか 
なんとなく生きてきたことを悔やむばかりである

おのれのことはさておき 最近世の中もいい加減で手前勝手で無責任なことが多すぎる

今度の選挙もそうだし 我が国を代表する企業のなんとお粗末なこと

戦後70年これまで我が国を引っ張ってきたと思っていたものが

今ガタガタと音をたてて壊れていくようだ

もっと一所懸命にならないと これからの子供 孫の時代が思いやられてならない

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by minnamiya | 2017-10-21 16:52 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感

けんぼうの夢想話

台風銀座

今日は18日(月曜日)祝日敬老の日である 朝から台風一過の青空が広がり

昨日までの台風騒動が嘘のようである

よく台風一過の青空というが 台風が過ぎ次の朝に絵に描いたような青空をみるのは

この地に住んで20数年になるが初めてである

青い水彩絵の具を水に溶かしたような 爽やかな空がどこまでも広がっている

台風銀座に住んでおれば台風には敏感で 台風発生と聞けば

すぐに気象庁のホームページを開き 予想進路をチェックするが

今度の台風18号 発生時の進路予想ではまっすぐに中国大陸に向かっており 

こっちには来ないものだと思っていた

水曜日の朝になり女房が台風が来るよというので 慌てて台風情報をみると

中国大陸に向かっていたはずの台風が 途中で90度方向転換して まともに九州に向いているではないか おまけに大型で非常に強い勢力になり 土曜日の夜から日曜日にかけて 九州に上陸するという

こりゃこりゃ難儀なことになったと 風で倒れそうな庭木の枝を切ったり 庭に置いている鉢や 風に飛ばされそうなものを片付けたりと 一通りの台風準備をした

台風の進路にはいつもやきもきするが

今回も金曜日の進路予想では 日曜日の午前中に水俣付近とあったのが

土曜日になると もっと南寄りの薩摩川内市付近となっている 

薩摩川内市付近ということは 新川沖の東シナ海を北上していくということで

加世田にとって最も悪いコースとなり これまで数々の被害をもたらしてきた

新川沖を大型で非常に強い勢力の台風が通るとなれば 最悪のことを想定して 

閉めた雨戸の上から角材を打ち付け雨戸が飛ばないようにしたり 家をチェーンで引っ張り補強をしたりと できる限りの備えをして台風を待った

しかし肝心の台風がなかなかやって来ない

夕方になっても風もなく静まり返り 青空さえ見えている

夜中あたりから 風が強くなるのではと予想していたが

夜中になっても静かである どこかで寄り道をしているようだ

明け方になり やっと雨戸がカタカタと鳴り横殴りの雨が降り出した

いつもならそれから数時間 ゴッオーという音とともに強い雨風が

雨戸に叩き付け 雨戸が壊れるのではないかとヒヤヒヤするが

今回はそれも長くは続かず 構えて待っている身には拍子抜けであった

いつもと勝手が違い はたして台風が近くまで来ているのだろうかと思い

起きてテレビの台風情報をみると

枕崎の下を東寄りに進んでいる 勢力も落ちているという

台風は右を通るか 左を通るかによって風の強さが違う

今回は南九州市の右30kmあたりを通って行ったが 反対に薩摩川内市の左40kmを通っていたら 雨風も強く被害もでていたかもしれない

この年になり数えきれないほどの台風を経験しているのだが

いくつになっても 地震 雷 台風と自然の前には頭を垂れるばかりである

夕方になると吹き返しの風もおさまり散歩にいくと 

道のあちこちに枝葉が散れて台風の痕はあったが 被害というほどのものはなかった

やれやれと思いながらいつもの畑道を行くと もう彼岸も近くなり 

あちこちの土手に彼岸花が顔をだしていた

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by minnamiya | 2017-09-18 11:52 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

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けんぼうの夢想話

             夏 雲

大糸線の信濃大町を過ぎしばらく行くと 左手に木崎湖 中綱湖 青木湖 の
仁科三湖といわれる三つの湖がある
一番北にある青木湖を過ぎると 列車は下って行くようになり
二つめに南神城という小さな駅がある
その南神城の民宿で 46年前の7月 竹田神社の六月灯の頃
3日間ほど過ごしたことがあった
これといった目的があって行ったのではなく
学校が夏休みとなり 穂高に登ったあと 
南神城の民宿に 学生時代の友人が逗留しており 彼に誘われるまま 訪ねていった

当時は民宿の走りの頃で 南神城の民宿も 洋風の洒落た建物で 個室だったり
料理が売り物であったり の今風のペンションとは違い
茅葺の農家を小奇麗に改装した ごく普通の民家で 寝るのも座敷に雑魚寝で 
都会の子供たちが休みを 田舎の爺ちゃん婆ちゃんの家で 過ごすようなものだった
夏の間は学生むけの学生村 冬の間は若いスキー客の宿となる
することといえば 朝から座敷でゴロゴロしていたり 漫画を見たりと退屈で
それに飽きると辺りを散歩するぐらいであった
北安曇野の南神城の背後には 3千m近い山々が聳えており
鹿島槍ヶ岳から 五竜岳 唐松岳 白馬三山に連なる 
日本の第一級の景色が見れると期待していたが 
残念ながら南神城からは 裏山の陰になり見ることができなかった
民宿の辺りは 田んぼ 畑の日本の田舎なら何処でもある景色で
南さつまの田舎育ちの身には さほど珍しくはなく
もの静かで単調な3日間であったが 私には信州の民宿にいるという
ハイカラなことだけで充分だった
そんななかで民宿のすぐ横の大糸線を 夕食前に長い貨車を引いた
蒸気機関車が通って行き 煙と蒸気を目一杯吐きながら登って行く姿は感動的で
旅心をくすぐり もの静かな一日のハイライトといってよかった
その時刻になると 友人と縁側にすわり 貨車の数を数えながら眺めていた
私の本棚の隅にある小さなスケッチブックに 南神城の民宿で描いた2枚のスケッチがある マジックペンで輪郭を描いただけの拙いものである
その民宿の縁側から描いた庭の花と 民宿の近くの小高い所から 田んぼを隔て
向こうの山々と夏雲を描いている
民宿で時間をもてあまし 退屈しのぎに描いたものだ

今回は大雪渓から白馬岳に登り 不帰ノ嶮から唐松岳へ
そして八方尾根を下りるという計画であった
前日八ヶ岳の山麓 蓼科にある中学時代の友人の別荘に世話になり
友人夫妻の手料理と ビールにはじまり 酒 ワイン 最後は芋焼酎のお湯割りと
料理 酒 会話 ミュージック 雰囲気 と5拍子も6拍子も揃った 愉しい一晩を過ごした
そして茅野から松本に出て 大糸線に乗った
車窓から安曇野の向こうに 北アルプスの雄大な山並みが望めるのだが 
あいにく雲の中 大町を過ぎるころから小雨も降りだした
梅雨明けの一番いい時期を選んで来たのだが うまくいかないものだ
簗場をすぎると いよいよ南神城である
列車は山間から やや開けた平野部へ 視界も開ける
あの民宿はと 線路添いの家を車窓から目を凝らして見たのだが
記憶にある茅葺の家などどこにもなく 今風のカラフルな家ばかりである
ただ広がる田んぼと向こうの山々は変わらないが
あの日のように夏雲の空を見ることはできなかった 


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[別荘にて]
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[白馬大雪渓]
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[白馬岳山頂]
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[こまくさ]
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[不帰ノ嶮]
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[夏雲と八方尾根]
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by minnamiya | 2017-08-12 11:47 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感

けんぼうの夢想話

六月灯

六月灯の頃になると 空にはムクムクと入道雲が浮かび
蝉も朝早くからわが夏を謳っているのだが 今年は少し遅いようだ
今年も六月灯がやってきた チリンチリンとアイスキャンディ売りはいなくなったが
からくり人形は疏水の上にいつものように くるりくるりと回っている
今年は 日新公の別府城攻め戦勝報告 の場面であった 
例年と比べると人形が多く賑やかである
今から約500年前に 南さつまの地で行われた戦いの一場面である
その後日新公は島津中興の祖として 神として祀られ 今でも祭りに登場するが 
負けた者達はどうしたのであろうか 
しばらくは夏空の下 くるりくるりと回る無表情の人形たちを見ていたが 
もう一つ気になることがあり 境内の方へ行くことにした

階段を上り境内の方へ行くと 大きな楠の下に人だかりができている
もしやと思い近づいていくと 
… 四谷 赤坂 麹町 チャラチャラ流れる御茶ノ水 粋な姐ちゃん……
おっ あの人の声が 久しぶりに来ているようだ
人垣の間から覗いてみると いつものように白いダボシャツに腹巻
タオルで鉢巻をしたあの人が 足元の大きなボストンバッグの上に
印籠のようなものを山積みにしている

… 国のはじまりが大和なら 日本の発祥の地は ここ舞敷野の御座屋敷
泥棒のはじまりが石川五右衛門なら いろは歌のはじまりがここの
日新公のいろは歌
今日はその日新公の 一年に一回の六月灯ときた
そのいろは歌で 御幼少のころから育っている皆様だ
へたなものを持ってくるわけにはいかない
大江戸八百八町とよくいうけど 今の東京そんなもんじゃない
その広い東京を駆け回って やっとあの秋葉原でみつけてきたのが
これ これ とスマホぐらいの印籠を腹巻から取り出し みんなの前に差し出した
この印籠 ただの印籠ではない あの助さん格さんの印籠とはものが違う
何が違うかといえば ほらこの頃 人よりもすごいと話題になっている AU 
いや AKB…         ……誰かがAIというと
そうそう そのAI アメリカのレッドリバーなんとかにある AIで世界一のデコポン社と あんまり大きい声ではいえないが 東京の永田町にある あるエライとこがつくった ソンタクホーンというものだ
ソンタクホーン?
そう そう このソンタクホーン 中にソウリノオオキミというAIが入っており
願い事をきいてくれるという便利なものときた
印籠の前をスマホのように指で押すと パァッと明るい画面になり
その画面の中に 両手で耳を塞いだ猿 いや人の像が現れた
よく見ると どこかの国の総理大臣に似ているようだ 
しばらくすると目がピカッと光った
ほら 目が光っただろう 
このように このソンタクホーンをかざせば 周囲のものが気遣いをし
何もいわなくても たちまち願い事がかなう便利なものだ
たとえば9億円の土地が1億円になったり 学校があっというまにできる 
という優れものときた
今年の春オープンした 東京の銀座セブンというシャレタところでは 
八千円を下らないところを 今日は一年に一度の竹田神社の六月灯だ
あの浅草のスカイツリーから飛び降りたつもりで 
えぃ たったの千円でどうだ
そこで何人か 駆け寄っていこうとしたが
ちょっと待ったお客さん 慌ててはいけない と手で制しながら
ここからが大事なとこだ よ~く聞いてよお客さん
このソンタクホーンを使えば 誰でも願い事がかなうと思ったら大間違い
あの天下の大泥棒石川五右衛門や 映画のフーテンの寅みたいな人間が
これを使ってもだめ ぜんぜんいうことをきいてはくれない
このソウリノオオキミや 枯れ木に花を咲かす花咲爺さんの話 しっているだろう 
あの正直者の爺さんのように 嘘をついたことのない正直者でなければ 
中のソウリノオオキミが いうことをきかないということだ 
それでも良ければもっていけ というと
あちこちから 俺も私もと 手に千円札を持ったお客が駆け寄り
たちまちバーゲン会場のような大騒動となった
十数分ほどすると ボストンバッグの上にあれほど積んであった 
印籠があっという間になくなった

この騒動がおさまると すっかり疲れたという表情で
さすが日新公のお膝元だ 恐れ入りやした… 
そして気を取り直したかのように
此処にくるたびに いろは歌を御前様に習ってくるが 今回御前様が教えてくれたのは む の歌だ

昔より 道ならずして おごる身の 天のせめにし あわざるはなし

御前様によれば 人間いつも謙虚であれ 驕るとかならず罰があたる ということだ
学のない俺でもわかるよ… 

取り囲んでいた人が次第にいなくなると
ボストンバッグを片付け 手に持ち よれよれの上着を肩にかけ 
じやぁ またな あばよ とこっちの方へやってきた
私を見ると おっ 兄ちゃんではないか 久しぶりだなぁ
相変わらずオツムと懐の方はさびしそうだが 元気そうだ よかった よかった 
あっ そうか兄ちゃんもソンタクホーンが欲しかったのか
だめ だめ 今日は飛ぶように売れちゃって もうひとつもないよ 次にしな
これも日新公のおかげかな ほ~らと 千円札で分厚く膨れた財布を見せながら
どうだい 俺が奢るから 文化通りの吉祥で一杯やらないか


[からくり人形 日新公別府城攻め戦勝報告の場面]
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by minnamiya | 2017-08-02 15:33 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

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けんぼうの夢想話

夏の夜の夢

その晩は蒸し暑く 寝苦しかったが 窓から夜風を入れ 
ローランドハナを聴いているうちに いつのまにか寝てしまった 
そして夜中に雨の音で目が覚めた
おっ 雨か 庭の花木に水をやる手間が省けたと喜んでいたら
遠くでゴロゴロと音がする そのうちに稲光がしだした
だんだんと音が大きくなり 稲光もひっきりなしに
私の部屋は内障子なので 稲光がもろに入ってくる
おまけに雨も強くなり 窓も障子も閉めた
そこからが真夜中の恐怖の雷ショーのはじまりだった
障子がピカッと光り しばらくしてドーンと音がする
ベッドでこっちに 来るな来るな と念じていたが
非情にもやってくる そして真上で音がしだした
こうなれば布団を頭から被って クワバラクワバラ と天に祈り
通り過ぎるのを待つしかない
しかし夏は被るほどの布団がないので ベッドにうつ伏せにはなるが 
それでも強烈な光は目に飛び込んでくる
音は遠慮会釈なしに 地響きをともない天から降ってくる
わが南さつまの吹上浜砂の祭典に 音と光のファンタジーという 
その日の最後を締めくくる 打ち上げ花火と音楽の迫力のあるショーがある
これは一見に値するファンタジーだが 目の前で行われる雷のショーは 
天地創造をおもわせる ド迫力満点の凄まじいものである 
クライマックスはピカッと光り 間髪を入れずバリバリと天地を震わせ
ダァーンと けたたましい音が
こうなればもうお手上げ ベッドでブルブルと身を縮こませ おお神様 である
そのあといつもなら遠ざかっていくのだが その晩はまた反対側からゴロゴロと
2回ほど繰り返したのだ
天はなにに怒っているのだろうか
2時間ほどのショーの間一睡もできず ただベッドの上で縮こまり 
じーっと通り過ぎるのを待っていた
やっとショーが終ると その疲れからかぐっすりと寝入ってしまった
普段はラジオ体操の時間には起きているのだが 寝過ごしてしまい
起きてみたらすでに朝ドラが始まっていた
窓から外を見ると 夕べの雷はどこえやら 青空に入道雲の夏空が広がっている
もう明日から夏休みだ
それにしても 例年はとっくに鳴いている我が家の蝉が まだ静まり返っている
どうしたのだろうか 天が鎮まるのを待っているのだろうか

地震 雷 火事 親父 とはよくいったもので
その雷より怖い地震が10日ほど前にあった この地では滅多にない震度4という 
地の底から突き上げてくる揺れで 
1~2分のことだったが ただ立ち尽くしているばかりであった
昨年の熊本の地震といい この国では天災に対する安全神話など無いといっていい
朝飯を終え 新聞を見ると我が国の政治のことをトップに アメリカの大統領の問題
北朝鮮の弾道ミサイル 福島の原発の廃炉のこと 海のプラスチック汚染のこと
そして地球温暖化の影響と思われる 九州北部の豪雨のことで紙面が溢れていた
どうやら夕べの雷は 驕るな との天の戒めだったようだ


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by minnamiya | 2017-07-23 09:28 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

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けんぼうの夢想話

曜変天目茶碗

6月のはじめ横浜で甥の結婚式があり 前日の朝の早い便で出かけていった
その日は横浜のホテル泊りで 夕方まで時間があり 上野の博物館に曜変天目茶碗をみにいくことにした
この2、3年テレビで何回か窯変天目茶碗を見る機会があった 
12,3世紀に中国福建省でつくられ 日本に伝わった茶碗で 今の技術をもってしても同じものは作れないという
わが国にある茶碗のなかで 最高峰のひとつとされている
私はお茶の心得があるどころか 当たり前の抹茶すら飲んだことがない
ましてや骨董趣味もない まったくの門外漢である
ただこの国で800年以上も 時の権力者の間で珍重され
そして今でも最高の茶碗と評価される窯変天目茶碗を見てみたかった
会場は茶の湯展の最終週であったので 平日にもかかわらずごったがえしていた
昨今の展覧会は案内書が完備され おまけに音声ガイドという便利なものまであるが
まずなにをおいても窯変天目茶碗を見たかった 
入口から人ごみの中をかきわけて探したが どこにも見つからない
見落としてしまったのと思い もう一回入口から丹念に見ていったが
それでも見つからない
おかしいなと思いながら 入口におかれている 出品目録という資料を見ると 
お目当ての曜変天目茶碗の展示期間がすでに終わっていた

そしてその晩の夢は
庭木が綺麗に刈り込まれ気持ちのいい庭の中にいた 木立の向こうに小さな小屋が
何だろうかと思い近づいていくと 茶室のようだ 舞庵と書かれている 
横に回ると躙り口があり そこに立って中をうかがっていたら 
中からどうぞと声があった おもむろに障子戸を開け中に入り
亭主の方に近づき 顔を上げると 下舞御座屋敷守博殿であった
よく来てくいやった というと 釜の方に向かい馴れた手つきで茶碗にお湯を注ぎ
お茶をたて 私の前に差し出した
黒い端正な茶碗にお茶が そして茶碗の内面がきらきらと輝いている
この茶碗は? と聞くと
わしの家のマロの茶碗だ 今日は数寄者のお主が来るということで 
マロから借りてきた
麻呂様とは?
マロはわしの家の飼い猫で いつもわしが餌をやるのだ
猫の茶碗!
わしの家に代々伝わるもので 中国の珍しい茶碗であるようだ
いい伝えによると わしより何代か前の御先祖様が大の焼酎好きで おまけにナンコがめっぽう強かったらしい この辺りでは無敵だったと聞いている
その噂をお殿様が聞きつけて 御先祖様とナンコの勝負となり
御先祖様がお殿様に勝ったらしい それでその茶碗を貰ったと聞いている
ナンコとは げたん葉 犬の小便というあれですか
そうだあのナンコだ
さしだされた茶碗を作法もわからぬまま飲み干した
飲み干すと 漆黒の釉薬の中に夜空の星々のようにきらきらとした模様が浮かんでいる
しばらく茶碗に見とれていたら ニャンという声がした
いつの間にか灰色の毛のふさふさとした大きな猫が 博殿の膝の上でじゃれだした
これがわしの家のマロだ

そこで目が覚めた
時間をみると起きるにはまだ早かった ベッドの上でうとうとしながら
今回本物にはお目にかかれなかったが 夢のなかで観たから よし としよう
また観る機会もあるだろうと思いながら
そういえば我が家にも猫がおったけ 我が家の猫の茶碗はドラエモンの茶碗のようだ 
博殿の麻呂のように もっと備前とか唐津とかの茶碗にせねば
まてよ 熊本の正行殿は 地震の時
大事にしていた唐津焼のいい茶碗から 飛び出して割れたというから
やはり地震でも割れぬ ドラエモンの茶碗のほうがいいかも
と他愛もないことを考えるうちにまた寝入ってしまつた





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by minnamiya | 2017-07-02 13:46 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

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けんぼうの夢想話

長崎の休日

運河に囲まれ 芝生と色とりどりの花が植えられた 小さな島を歩いていけば 
オランダの風車が3つ 向こうにもひとつ
そして運河にかかる瀟洒な橋を渡り 二つの尖塔のある城門をくぐると
煉瓦敷きの舗道と 煉瓦の壁とバラの花の気持ちのいい通りが続いている
その通りを抜け しばらく歩いていくと 運河添いの通りに出た
運河の向こうには この町のシンボルというべき高いタワーがそびえている
そのタワーの前が運河に沿って広場になっているようで 大勢の人で賑わっていた
何があるのだろうかと思い 橋を渡りその広場へいくと 
木陰に紅いパラソルとテーブルとイスがおかれ 
カップルや家族連れが おもいおもいにくつろいでいた
その広場の真ん中あたりに 団塊の世代と思われる 
数人のご婦人方が楽しそうに話をしている  笑い声も聞こえてくる
何の集まりだろうか
たぶん同級生の集まりとおもうが 
久しぶりに友に会い どの顔もいきいきとしている
何を話しているのだろうか 
学生時代のことだろうか それとも孫のことだろうか……

バラのほんのりとした香りのなかを  時間がゆっくりと流れていった………

うとうとしながら 夢をみていたようだ  運河をいくクルーザーの音で目が覚めた
友人らと昼から豪勢にステーキにビールのランチとはりこんだ
ビールをお代わりをし おまけにワインまでと  
すっかりいい気持になり 運河沿いの木陰のベンチに座り いつのまにかうとうとしていた
花に縁どられた運河を 笑顔をいっぱい乗せたクルーザーが通っていく 
その度に心地よい5月の風が渡っていく
この運河には佐世保の港で見た黒い船は似合わないし  
やはり笑顔いっぱいのクルーザーがいい
長崎に来れば 平和公園 長崎の鐘は避けて通れないものである
夕べも子供たち孫たちの時代を考えなければという話があった
また笑顔いっぱいのクルーザーが通っていく
次は孫たちといっしょに あのクルーザーに乗り 長崎の休日を楽しみたいものだ


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by minnamiya | 2017-05-22 22:00 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感

けんぼうの夢想話

                       花  見

3月の中旬を過ぎあちこちの山肌を うっすらと山桜が染めるころになると どこかうきうきしだし 日増しに心躍るものである 四季おりおりに気持ちのうねりは 大なり小なりあるが その中でも一番のピークはこの桜の時期であろうか
それだけ桜は人々をわくわくさせたり やきもきさせたりと 気を揉ませるものである
南さつまでは例年と比べると約2週間ほど遅かった 観測史上最も遅い開花記録であるという
みんなみ屋にとって 花見は春の一大行事で これまでは河添の あかいやね で行ってきたが 昨年の5月末閉店したので 今年は7日に舞敷野の公民館をかりて行った しかし桜の花は数えるほどしか咲いておらず 初めて花のない花見となった
花見も回を重ねるうちに たまには日本の有名な桜の下で花見をやりたいと それも元気なうちにと思うようになった 
今回はじめて吉野山の桜を観に行こうと みんなみ屋の面々と出かけてきた
昨日は京都の南禅寺界隈から 円山公園 清水寺を回り 夕刻木屋町の高瀬川沿いの桜を見て京都の桜を満喫した
この時期京都の宿はとても予約がとれるものではなく 大阪か大津か奈良かいろいろ迷ったあげく
吉野山に行くことから 奈良の駅前に宿をとった 



[高瀬川添いの桜]
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最近仕事と縁がなくなり時間に余裕があるようになった (暇ということだが) 本を読むことで時間をつぶしている それも電子書籍を利用するようになった 文庫本を読むよりは文字を大きくでき楽である 2か月ほど前最初に読んだ本が 司馬遼太郎の 街道を行く シリーズの中の 奈良散歩 という文庫本であった 奈良散歩という題からそうぞうできるように 奈良のお寺と仏教について書かれている
そのなかに 

仏教は、キリスト教やマホメット教のように、一神教でかつ教祖の言葉による「啓示宗教」であるものとは、宗教としての本質において異なっている。
─神を崇(あがめ)え。
とは釈迦は説かなかった。
─これが真理である。
とのみ説いた。

この部分を読み はてな?と思った 私しどもがお寺に行ったとき崇めるのはお釈迦様ではないか もちろん向江の聖徳寺では阿弥陀如来ではあるが 

そして
仏教でわかっているただひとつのことは、釈迦が説いたものだということである。
その釈迦が何を説いた、となると、実証的なことはすこしもわかってはいない。
 
どういうことだろうかと思いながら その先を読んだり 司馬遼太郎の他の本を読んでいくうちにおぼろげではあるが 解るようなきだけはしてきた
私にとっての仏教は 父を送り 母を送り 縁者を送るときと その法事でお寺に参詣する いわゆる死というものに関わる方法 方式であって 信仰というほどではない 
大晦日に除夜の鐘をきき 一夜明けると神社に参る というごく一般的な日本人のひとりである
これまで仏教(釈迦の説いたもの)について深く考えたことなどなかった 奈良散歩 を読むと仏教伝来から 仏教 お寺 社会の成り立ちまで 史実をふまえて書いてあり 目からうろこの連続であった 
仏教を宗教としてより これまで1500年近く 日本人に影響を与え 受け継がれてきたモノとみたら だいぶ様相が変わってくるようである
参考までに
 
東大寺が建立された奈良時代では、仏教は生者のみのものだった。このため、東大寺では葬儀というもの  をやらない。いかに東大寺に大きな寄進をした分限者であっても、葬儀をひきうけることはない。

この辺りにくると へぇ~そうなのかと 初めて知ることばかりであった^
このような仏教と東大寺を中心にした話が続き それまで厚い雲に覆われていた世界が少しだけあかるくなったといっていい

私もミーハーであり 奈良に泊まることから 時間が許せば 奈良の町 東大寺界隈を歩きたいと思っていた 
しかし今回は吉野山の桜がメインであり 近鉄奈良駅を8時過ぎの電車に乗る予定でいた 
朝の早い時間しかなく ホテルを暗いうちにでてきた
外は小雨がふっている 夕べ先斗町でカウンターに9人座りワイワイやったので 少し過ぎたらしい そのせいかまだふらふらする 暗い道を奈良町から猿沢の池 浮見堂の前を通り そして若草山の麓に来た頃 雨もやみ空も明るくなってきた



[浮見堂と桜]
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               [若草山]
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東大寺に入り 三月堂 二月堂 誰にも会わない 二月堂の階段を上り回廊にでた
回廊から眺めると目の前に大仏殿 そして奈良の町が
この二月堂 ひと月前はお水取り(修二会)で賑わったことだろう テレビ等でよく目にするが それは修二会という行のクライマックス大松明をかざしては振り 振っては舞う 達陀の行で 回廊から激しく火の粉が降るあれである
修二会についても詳しく書かれており 752年東大寺が建立されていらい 毎年かかさず行われおり 一回も中止したことはないという
その中で東大寺の過去帳が 聖武天皇を筆頭に東大寺に功績のあったもの166万5千71人(この本は昭和59年出版であり今は少し増えているかもしれない)が読み上げられるという
回廊から反対側の長い階段を下り 下から見上げてみた ひと月前はあそこから激しく火の粉が舞っただろうが 今はだれもいない 鹿の子が一匹遊んでいた

[二月堂の回廊から]
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[二月堂]
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二月堂から大仏殿の方へいく
これまで東大寺には何回かきてはいるが 漫然とした物見で それも携えていたのは 中学の歴史の教科書程度の知識であった 
大仏殿の周りはいつきても人 人で 人見に来るようなものである
今回は朝が早いせいか ほとんど人に会わなかった 
そして広い境内のあちこちに植えられた桜が満開である
大仏殿の横の路地を通りながら この塀の中で行われた大仏開眼供養のことを考えていた
大仏開眼供養は752年の4月9日(5月26日)ちょうど1243年前である 開眼師はインド僧が務め 参列者は聖武天皇をはじめ1万数千人いたという
青空に五色の幡が春風にたなびき あちこちに色とりどりの花々が飾られ 雅楽が奏でられ~
映画の1シーンを見るように想像してみる

これからはたわいもない話であるが
1243年前とは 一代を約30年とすれば41代前である  
私の前は父母2人 その前は祖父母が4人 その方式で41代前は2ノ40乗
机上の計算では 1兆995億~人という天文学的な数字がでてくる
そして大仏開眼時の我が国の人口は約600万人前後と記録があり 
その両方の数字から考えると
私が血を引く御先祖様のひとりぐらいは 大仏開眼供養に参列していたにちがいない
こう思えば話ががぜん面白くなり そして大仏がぐっと身近なものに感じられた

大仏殿をあとに 誰もいない広い参道をホテルの方へ向かいながら
今回は大仏 毘盧遮那仏(華厳経において宇宙の真理の中心におり、その光明は宇宙のいっさいの真理や状態をあまねく照らしている)にお会いできなかったが また近いうちにお参りして 私のお先祖様のことをきいてみたくなった

[東大寺の桜]
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               [南大門と参道]
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by minnamiya | 2017-04-23 17:52 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感

けんぼうの夢想話

ウンベ(ムべ)

中山先生の喜寿の祝いが文化通りであった日 京都から祝いに馳せ参じてきた
サダノリとマサアキと3人で 野間岳に登ってみようということになった
その日は秋晴れの雲ひとつない いい天気で 野間神社に11時ごろ着いた
神社の脇から登りだす 登山道のあちこちに つわぶきの花が 晩秋である
晩秋とはいえ 九州南端の山では 山肌を紅黄に染める木々は少なく 
ほとんどが常緑の鬱蒼とした照葉樹で 頭の上も深い緑に覆われている 
その中に真っ青な空が

昨年ユウヘイ君と登ったときは 頂上で彼を小一時間ほど待ったが
今回の2人はいたって元気である 
とくにサダノリはマラソン大会に出るぐらいであるから ケロッとしている
頂上近くの急な岩場を 先に行くよと ピョンピョンと飛ぶようにして
登っていき あっという間に姿が見えなくなった
頂上に着くと 先に行ったはずのサダノリがいない
何処に行ったのだろうかと思いながら 昼飯のラーメンのお湯を沸かしていたら
サダノリが登ってきた 手に何かをぶら下げている
ウンベである やや小さいがよく熟れている 
何処で見つけたか聞くと 頂上のすぐ下で見つけたという
しばらくしたらマサアキも登ってきた
昼飯を食いながら ウンベ アケビの話がはずむ

十五夜が過ぎ 秋が深まると 学校から帰り近所の悪童達と
近くの山にアケビを取りにいくもので
藪に分け入り 蔓の先にポッカリと割れたアケビを見つけた時の喜び
そして口に入れると えもいわれぬ甘さがじわっとひろがり・・・
秋ならではのささやかな山の恵みであった
アケビは近くの山でわりと簡単に見つけることができたが
ウンベはなかなか 見つかるものではなかった
どっちかというと ウンベの方がアケビより大きく食べ応えもあり
ありがたいものだったが

サダノリは山の子であったようで アケビ ウンベには詳しい
登ってくる途中も これはアケビの蔓 あれはウンベの葉っぱと
講釈のせがらしいこと
どうやら先に登って ウンベを探していたようだ
サダノリ先生によると もう時期遅れではあるが よく探せばまだあるという
それなら祝いの席の みやげにしょうということになった
30分ほどで昼飯をすませ 今度はサダノリ先生についてウンベ取りである
どこから見つけてきたのか 先生が先っちょに又のついた長い木の棒を持っている
その棒を使い これはカッコちゃんに これはヒサちゃんに これはイッちゃんにと
木の上に這っている蔓から上手に取る
そしてその晩の女性陣の数ほど取ると
よぉ〜し 来年は サダオとコウゾウを いやアキオとマリちゃんも 連れてこよー と
得意満面のサダノリ先生であった



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by minnamiya | 2016-11-13 15:00 | ふるさと雑感 | Comments(0)