ふるさと雑感

けんぼうの夢想話

                       花  見

3月の中旬を過ぎあちこちの山肌を うっすらと山桜が染めるころになると どこかうきうきしだし 日増しに心躍るものである 四季おりおりに気持ちのうねりは 大なり小なりあるが その中でも一番のピークはこの桜の時期であろうか
それだけ桜は人々をわくわくさせたり やきもきさせたりと 気を揉ませるものである
南さつまでは例年と比べると約2週間ほど遅かった 観測史上最も遅い開花記録であるという
みんなみ屋にとって 花見は春の一大行事で これまでは河添の あかいやね で行ってきたが 昨年の5月末閉店したので 今年は7日に舞敷野の公民館をかりて行った しかし桜の花は数えるほどしか咲いておらず 初めて花のない花見となった
花見も回を重ねるうちに たまには日本の有名な桜の下で花見をやりたいと それも元気なうちにと思うようになった 
今回はじめて吉野山の桜を観に行こうと みんなみ屋の面々と出かけてきた
昨日は京都の南禅寺界隈から 円山公園 清水寺を回り 夕刻木屋町の高瀬川沿いの桜を見て京都の桜を満喫した
この時期京都の宿はとても予約がとれるものではなく 大阪か大津か奈良かいろいろ迷ったあげく
吉野山に行くことから 奈良の駅前に宿をとった 



[高瀬川添いの桜]
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最近仕事と縁がなくなり時間に余裕があるようになった (暇ということだが) 本を読むことで時間をつぶしている それも電子書籍を利用するようになった 文庫本を読むよりは文字を大きくでき楽である 2か月ほど前最初に読んだ本が 司馬遼太郎の 街道を行く シリーズの中の 奈良散歩 という文庫本であった 奈良散歩という題からそうぞうできるように 奈良のお寺と仏教について書かれている
そのなかに 

仏教は、キリスト教やマホメット教のように、一神教でかつ教祖の言葉による「啓示宗教」であるものとは、宗教としての本質において異なっている。
─神を崇(あがめ)え。
とは釈迦は説かなかった。
─これが真理である。
とのみ説いた。

この部分を読み はてな?と思った 私しどもがお寺に行ったとき崇めるのはお釈迦様ではないか もちろん向江の聖徳寺では阿弥陀如来ではあるが 

そして
仏教でわかっているただひとつのことは、釈迦が説いたものだということである。
その釈迦が何を説いた、となると、実証的なことはすこしもわかってはいない。
 
どういうことだろうかと思いながら その先を読んだり 司馬遼太郎の他の本を読んでいくうちにおぼろげではあるが 解るようなきだけはしてきた
私にとっての仏教は 父を送り 母を送り 縁者を送るときと その法事でお寺に参詣する いわゆる死というものに関わる方法 方式であって 信仰というほどではない 
大晦日に除夜の鐘をきき 一夜明けると神社に参る というごく一般的な日本人のひとりである
これまで仏教(釈迦の説いたもの)について深く考えたことなどなかった 奈良散歩 を読むと仏教伝来から 仏教 お寺 社会の成り立ちまで 史実をふまえて書いてあり 目からうろこの連続であった 
仏教を宗教としてより これまで1500年近く 日本人に影響を与え 受け継がれてきたモノとみたら だいぶ様相が変わってくるようである
参考までに
 
東大寺が建立された奈良時代では、仏教は生者のみのものだった。このため、東大寺では葬儀というもの  をやらない。いかに東大寺に大きな寄進をした分限者であっても、葬儀をひきうけることはない。

この辺りにくると へぇ~そうなのかと 初めて知ることばかりであった^
このような仏教と東大寺を中心にした話が続き それまで厚い雲に覆われていた世界が少しだけあかるくなったといっていい

私もミーハーであり 奈良に泊まることから 時間が許せば 奈良の町 東大寺界隈を歩きたいと思っていた 
しかし今回は吉野山の桜がメインであり 近鉄奈良駅を8時過ぎの電車に乗る予定でいた 
朝の早い時間しかなく ホテルを暗いうちにでてきた
外は小雨がふっている 夕べ先斗町でカウンターに9人座りワイワイやったので 少し過ぎたらしい そのせいかまだふらふらする 暗い道を奈良町から猿沢の池 浮見堂の前を通り そして若草山の麓に来た頃 雨もやみ空も明るくなってきた



[浮見堂と桜]
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               [若草山]
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東大寺に入り 三月堂 二月堂 誰にも会わない 二月堂の階段を上り回廊にでた
回廊から眺めると目の前に大仏殿 そして奈良の町が
この二月堂 ひと月前はお水取り(修二会)で賑わったことだろう テレビ等でよく目にするが それは修二会という行のクライマックス大松明をかざしては振り 振っては舞う 達陀の行で 回廊から激しく火の粉が降るあれである
修二会についても詳しく書かれており 752年東大寺が建立されていらい 毎年かかさず行われおり 一回も中止したことはないという
その中で東大寺の過去帳が 聖武天皇を筆頭に東大寺に功績のあったもの166万5千71人(この本は昭和59年出版であり今は少し増えているかもしれない)が読み上げられるという
回廊から反対側の長い階段を下り 下から見上げてみた ひと月前はあそこから激しく火の粉が舞っただろうが 今はだれもいない 鹿の子が一匹遊んでいた

[二月堂の回廊から]
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[二月堂]
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二月堂から大仏殿の方へいく
これまで東大寺には何回かきてはいるが 漫然とした物見で それも携えていたのは 中学の歴史の教科書程度の知識であった 
大仏殿の周りはいつきても人 人で 人見に来るようなものである
今回は朝が早いせいか ほとんど人に会わなかった 
そして広い境内のあちこちに植えられた桜が満開である
大仏殿の横の路地を通りながら この塀の中で行われた大仏開眼供養のことを考えていた
大仏開眼供養は752年の4月9日(5月26日)ちょうど1243年前である 開眼師はインド僧が務め 参列者は聖武天皇をはじめ1万数千人いたという
青空に五色の幡が春風にたなびき あちこちに色とりどりの花々が飾られ 雅楽が奏でられ~
映画の1シーンを見るように想像してみる

これからはたわいもない話であるが
1243年前とは 一代を約30年とすれば41代前である  
私の前は父母2人 その前は祖父母が4人 その方式で41代前は2ノ40乗
机上の計算では 1兆995億~人という天文学的な数字がでてくる
そして大仏開眼時の我が国の人口は約600万人前後と記録があり 
その両方の数字から考えると
私が血を引く御先祖様のひとりぐらいは 大仏開眼供養に参列していたにちがいない
こう思えば話ががぜん面白くなり そして大仏がぐっと身近なものに感じられた

大仏殿をあとに 誰もいない広い参道をホテルの方へ向かいながら
今回は大仏 毘盧遮那仏(華厳経において宇宙の真理の中心におり、その光明は宇宙のいっさいの真理や状態をあまねく照らしている)にお会いできなかったが また近いうちにお参りして 私のお先祖様のことをきいてみたくなった

[東大寺の桜]
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               [南大門と参道]
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by minnamiya | 2017-04-23 17:52 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

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