カテゴリ:ふるさと雑感( 59 )

 

ふるさと雑感

けんぼうの夢想話


           青いレモン

 
 11月の最終の日曜日 私の住んでいる川畑校区の文化祭が

小学校の体育館であった

10数年前から 地域を元気にしようと 校区の文化祭と

小学校の学習発表会(学芸会)をいっしょにするようになった

始めた頃は出演者も多く 私の所属する商工クラブも

バザーと寸劇の役割を担っていたが 10年ほど過ぎたころ 

バザーがなくなり 文化祭から遠のいてしまった

今年は川畑小学校が創立140周年ということで

花を添えようと 商工クラブも踊りで参加することになった

踊りは明治維新150年 そして大河ドラマ せごどん にちなんで 

かつて西郷輝彦が歌っていた青年おはら節である 

当初はメンバー男6人と踊りの先生・アッちゃんと7人で踊る予定だったが 

2.3回練習するうちに いつのまにか劇仕立てとなり 

私の女房とキヨタカさんの奥さん・マユミさん2人が 

露払い役で出ることになった


当日体育館の舞台の下の倉庫で 舞台衣装に着替える 

黒いタイツといいたいところだが ジヤージに 黄色い派手な法被 

それに紅い帯をまき 頭には菅傘 手には鳴子

それだけで雰囲気が出てくる 馬子にも衣装とよく言ったものだ

出番まで少し時間があったので 子供たちがどんなことをするのか見てみたくなり

舞台の袖に上がって行った 

カーテンの隙間から見ると 器楽演奏 マーチングバンドらしい 

20数名いるだろうか 低学年を除いて全員参加のようだ
帽子にオレンジのスカーフ おっ きまっている

演奏が始まる 迫力のある音が響く 太鼓が小気味よいリズムを刻み 
将来はアート・ブレーキ―かエルビン・ジョーンズかと

思うほど上手いものであった

その演奏中 小太鼓の4年生ぐらいの男の子が 私にきづき 

おかしな格好をした爺ちゃんが見ていると 私を見てにたっと笑った

どこの子か知らないが こらっ よそ見をするな!と思わず口に出る

それにしても我々の頃の カスタネット タンバリン トライアングル

木琴 バンドとは大違いである

子供たちのマーチングバンドの後が いよいよ我々の出番で

幕が開き 露払い役の二人が出て行く ふたことみことの掛け合いがあり

その後が踊りである 舞台に出ると会場の視線を感じ しばし緊張する 

会場を見ると 思っていたより観客が多い

簡単な踊りではあるが 2.3回の練習で上手に踊れるものではなく 

アッちゃん先生を横目で見ながら 3分あまり四苦八苦しながら踊る

やっと終わった ホッとする  


その晩はお決まりの反省会(のんかた)である

踊りに参加したメンバー全員が 公民館で鍋を囲みながらワイワイやる

ビールが旨い 終わったという安堵感と少しの達成感がみんなを包む

酔いが回るにつれ 話がはずみ 
踊りの先生・アッちゃんが 「あたいが4年の時じゃった 
80周年の祝えが講堂であって みんなで遊戯をしたが 
見てが多かって 講堂に入りきれんばっかいじゃった」 

するとキヨタカさんが 「アッちゃんが4年なら おいは5年 マユミが1年生か

たしかナゲドン(長井菓子店)の紅白のモシコ(型菓子)をもろたきがすっ
マユミは覚えちょらんか?」
マユミさんが「私は学校へ入ったばっかいで よく覚えちょらん」と首を横に振る

キヨタカさんとマユミさんは夫婦で 

家は唐仁原病院の下の 道路を挟んで上下であった

いわゆる4ツ違いの幼なじみで 青いレモンの味がする間柄である

そんな二人が60年後 孫といえる子供たちの前で踊りをするとは
面白いものである
二人とももう青いレモンとはいえず ダイダイになってしまったが
………

とりとめの話が続き 楽しい晩が更けていく


私のまわりの他愛もないことだが
マスコミを賑わしている 世界をまたにかけた 

数十億円のゴーンさんと比べたら

なんと ささやかな はなしであろうか


   ダイダイも 青い時あり 秋深し  (健)




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by minnamiya | 2018-12-12 20:17 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感

けんぼうの夢想話

秋深し

秋も深まる頃 文化通りの吉祥で 来年5月に予定している古希同窓会の

集まりがあった 

その集まりに幸ちゃんを誘ったのだが 他に用事があったようで顔を見せなかった

先月の20日過ぎ 京都から正ちゃんが来たおり 
同級生数人でテーブルを囲んだ時は 幸ちゃんも鹿児島からやってきて 
席に座るなり生ビールを2杯旨そうに飲んだ

昨年の冬 足の怪我で入院していらい ほっそりとなり覇気がなかったが 

だいぶ顔色もよくなり 腹回りも元にもどったようだ

ビールを飲みながら幸ちゃんが 「最近出っとが面倒くさして 

引きこもりになってしもた」 と苦笑いをしながらいった

誰かが 「ないをしちょとよ?」 というと 

「スマホとテレビを見ちょとよ」 と幸ちゃん

それを聞いて 「幸三! 外に出らんと 惚くっど」 とみんながちゃちゃを入れる

たしかに惚けてもおかしくない年になった

幸ちゃんは足の怪我で 外に出て行くのが億劫になり 怠け者になったのだろう

怪我をする前は 耳にイヤホン 手にスマホを持ちながら 

リュック姿でさっそうと現れるものだった

それを見てデジタル男が来たとひやかしながら 先端のデジタル機器を使いこなしている幸ちゃんを羨ましく思うものだった

カウンターでお遍路さんや熊野古道をかたったり 

今日は甲子園 明日は諏訪湖 明後日は東京と

駆け巡っていた幸ちゃんに戻るのは もう少し時間がかかるようだ


その幸ちゃんをデジタル男とひやかしていた私だが

最近は幸ちゃん以上にデジタル男になってしまった

ウォークマン イヤホンはもとより スマホに音楽をダウンロードして

舌をかむようなBluetoothという便利なもので スピーカーを持ち歩き

庭の草取りや 野良仕事をしながら聴いている

いってみれば朝から晩まで音楽三昧といっていい 

三昧といえば聞こえはいいが たんなる ~ ながらということである

聴くのも耳障りにならない軽いものばかりで 

たまに酒が進むと 美空ひばりを聴いている

スマホひとつで何千何万の曲を 

いつでもどこでも スィッチを押せば聴ける 便利な時代である

それにくらべ私が音楽(洋楽)に興味を持ち始めた頃は ラジオしかなかった 

大方の人が中学校を卒業するころから 背伸びするもので 

音楽においてもそうである

私もそれまでの 城山すずめ ロッテ歌のアルバムから 洋楽の方を聴くようになり 
NHKの第二放送で 日曜日の午後3時から 「真珠貝の歌」がテーマ曲の 
リクエストコーナー というポピュラー音楽の番組があり 

毎週 日曜日が待ち遠しいものだった

その他にも 音楽の泉 ユアーヒットパレード 東芝ヤングヤングヤング 

音楽夜話 夢のハーモニー ………と挙げればきりがない

まだFM放送がないので 音楽番組も少なく そして音も悪い 

とくに夜になると あちゃらの放送と混信して 聞き取りにくくなるが 

それでも深夜の1~2時まで聞くものだった
いつでもどこでも何でも聴ける ということは便利で贅沢なことだが

一つ一つが薄っぺらになってしまう

音楽を愉しむ時間をもつためには あの頃のような青さをなくしてはならないようだ


今日は日曜日 小春日和のいい天気である 

ひなたぼっこをしながら ウトウトしていると

幸ちゃんのお遍路姿がでてきたり

どこからか真珠貝の歌が流れてきそうな気がする



     菜の花や 遍路姿の 二三人 
(
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by minnamiya | 2018-11-15 21:55 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感


けんぼうの夢想話

山男のうた

 還暦を過ぎてから年に1~ 2回中央の山に登ることを愉しみとしてきた

当初は古希あたりまでと思っていたが 古希が近づくにつれ もう少しあと5年 

親父の歳(75)まで登ろうと欲がでてきた

私が山登りを始めたのは 50年前 ドクトルマンボウ青春記 の表紙の常念岳を見たことがきっかけで その常念岳に初めて登ることにした

人はなぜ山に登るのか 人それぞれである

テレビでよく目にする百名山に幾つ登ったかと 数値にすれば明解ではあるが

私は 山がそこにあるから というそっちの方だ

いずれにせよ難儀して登れば 頂上にはすばらしい眺めがまっている 

小屋を夜明けとともに発ち 常念岳をめざす 

夜明けの薄明りのなかに長々と登山路が続いている

風が冷たい 調子がでるまで時間がかかる 一歩一歩登る

すると いつものことであるが お前も 馬鹿なことをしている

さっさっと止めて帰ろうや と誘惑の声が………

誘惑の声を振り切りながら 登ること一時間余り 

やっと頂上へ

朝日の中に北アルプスの峰々が 槍ヶ岳が はるか遠くに富士山が

ゆっくりと愉しみたいところだが 先が長いので 蝶ヶ岳へ急ぐ

常念岳から蝶ヶ岳は槍穂高の大展望台で 槍穂高を独り占めして歩く

山歩きの極みである

そのなかにもアップダウンの繰り返しがあり やばいところも

なんとか5時間余りで 蝶ヶ岳の山頂へ

右手には穂先が天を鋭く指している槍ヶ岳 目の前には穂高の大岩峰

何の言葉もいらない こうべがたれる


そして蝶ヶ岳から上高地まで5時間余り 

それまでの5時間と 足取りが重い やっと西糸屋山荘へ

山を降りて一番の楽しみはダレヤメである ビールからワインそして焼酎

さぁー今夜もと いさんで食堂にいくと すでに賑やかな声が

私の席は独りで宿泊している客どうしのテーブルである

私の前には友人の娘さんによく似た髪の長い感じのいいお嬢さん

その横には文化通りのスナックのママによく似たポチャポチャとしたお嬢さん

その隣がアンジェラ亜紀に似た アメリカかヨーロッパからのお嬢さん

私の横にはパリジェンヌといえそうな 栗色の髪と碧い目のかわいいお嬢さん

妙齢のお嬢さん方と席を同じくすることなど初めてである

少し緊張しながら まずビールを一杯 旨い

疲れがスーッと取れ 酔いが回る

少しいい気持になり 前の友人の娘さんによく似たお嬢さんに

山登り? とはなしかけると 困惑したようで 手で分りませんという仕草をした

どうやらよその国の人のようだ

まずかったかなと思いながら またビールを飲む

しばらくしたら文化通りのママさんに似たお嬢さんが隣のアンジェラ亜紀さんに

話しかけた この人もよその国の人のようだ

何を話しているのかさっぱりである

すると隣のパリジェンヌも話に加わった

ところどころ ヤケダケ タカヤマ ツマゴ マゴメ 

どうやらこれから行く旅の話のようだ

友達どうしのように楽しそうに話をしている 

その中に加わりたいが 何を言っているのかさっぱりである

そのうちに友人の娘さんに似たお嬢さんが 向こうのテーブルにいた

ブロンドの2歳ぐらいの男の子を連れた夫婦に話しかけた 顔見知りのようだ

飛び交う言葉は英語か フランス語か イタリア語か

ポカーンとして聞いているだけである

もう信州ワインどころではなくなり 早々に部屋に引き上げた

その晩は山に登った感慨など吹き飛び 

テーブルの片隅でぽつーんとしている 己の姿を思うと落ち込んでしまった 

もう地球人としてスタンダードではないようだ

寝るのもいつもより早いが 夢の中で 

若いころから山と酒にうつつをぬかしていたからだと

親父にいわれそうでなかなか眠れない


この夏縄文のビーナスに会い 私どもの御先祖様はどこから? 

ということに興味を持つようになった

その手の本を読むと 先に住んでいた縄文のビーナスを作った人々と 

その後大陸朝鮮半島からと 中国南部 そして南の島々からの 

ボートピープル達の混血のようだ
かつて この国は単一民族とか 神の国といった人々がいたが
歴史は高い視点から 理にかなった見方が必要だ

我々はもう賞味期限切れ近くになっているが

これからの子供 孫達は 地球人のスタンダードとして逞しく生きてもらいたいものだ

あくる朝ロビーで 友人の娘さんに似たお嬢さんが 

たどたどしく ありがとうございました と笑顔で挨拶をしてくれた




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by minnamiya | 2018-10-20 13:18 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感

けんぼうの夢想話

夜空の星

 
 その晩もいつものように寝音楽をしながら床についた

最初のうちは流れる音に耳を傾けていたが そのうち夢のなかに


 闇のなかを幽かな灯りに照らされて誰かやってくる 下半身がばかでかく

それにおなかも大きく突きでている どうやら女の人のようだ 

歩いてくるというよりスゥーという感じで近づいてきた

目を凝らして見ると 可笑しもぜっ 娘さんである

どこかで見たような?  

あっ! ビーナス

そう私は縄文のビーナスでございます

先日あなた様が私どもを訪ねていただき そのお礼にお伺いいたしました

私どもは 諏訪のくに に関心を持たれた人には 

夢の中ですが必ずお礼にお伺いしています 


 7月の末蓼科の友人宅に一晩お世話になったあくる日

友人夫妻から茅野市尖石縄文考古館に案内された

縄文考古館? 

諏訪は縄文の宝庫だという

南さつまにも栫ノ原遺跡をはじめ幾つかの縄文遺跡があるが

あまり身近なものではなく 正面から考えたことはなかった

資料館も石器や土器のかけらが並んでいるだけの退屈なものと思っていたが 

尖石縄文考古館に入り それまで持っていた縄文のイメージが吹き飛んだ 

主に祭祀に使われたという大小の甕 壺 皿が

装飾の施されたものからシンプルなものまで数多く並んでおり

そのどれもが芸術品と呼べるような見事なものである

そして国宝の土偶 縄文のビーナスと仮面の女神 があった


 まだあの時の昂ぶりが残っており ビーナスに諏訪のくに について訊いてみた

ビーナスは

私を作った人々は 陽が昇れば起き森や川や湖にでかけ 

陽が沈むと寝るという毎日でした

そんな暮らしですが 粗末な小屋で火を囲みながら家族の団欒もあったし 

季節ごとに村の祭りもありました

もちろん学校 宿題 会社はありませんので のんびりと暮らしていました

楽しみといえば 夏になると

零れるほどの満天の星が夜空を覆い その中に天の川が 流れ星が

諏訪湖の花火大会以上の眺めだと思います

あなた様のお友達ヒロシ様が文化通りのバカンスでよく歌われる 夜空の星 

あの歌の世界を想像していただいたらよろしいかと思います 

私はものいわぬ人形ですが 生身の娘さんならきっとドキドキとして眺めたことでしょう


そして諏訪のくに の人々がどうなったかということですか


私は長い間土のなかで眠っていましたのでよくわかりませんが

私が作られたのが4~5千年前 それから2千年ぐらい過ぎた頃
西の方から米を食べる人達がやって来て

あっという間に諏訪のくにもその人達に呑みこまれていったようです

私が土の中から目覚めたのが 今から約30年ほど前ですから

その間にはいろんなことがあったのでしょう ……………

何か思っているようで しばらく言葉がなかった

そして気を取り直すかのように

あなた様のなかにも 諏訪のくにの血が流れているのではないでしょうか

よく信州の山に登るということはそういうことかと思います

先日初めてあなた様にお会いしましたが これも何かの縁というものでしょうか

娑婆って 面白いものですね

またいらしてください 今度はあなた様が備前といったあの器に 

諏訪のくにの晴れの日の御馳走を盛り おもてなししますわ 

そしてヤマブドウのお酒もありますので 私がお酌をしてさしあげます

そういいながら 吊り上った細い目でウインクすると消えてしまった


 盆も近いというのに朝早くよりクマゼミのうるさいこと

縄文のビーナスがお酌をしてくれるとは!

また行かなければ      忙しいことだ!

そういえば今日は我が家のビーナスがやってくる
早く飛行場に迎えに行かないと







縄文のビーナス
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仮面の女神
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by minnamiya | 2018-08-04 13:41 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感



けんぼうの夢想話


鯉のぼりの男


 55日こどもの日 文化通りの友人たちと 熊本阿蘇まで

日帰りのバス旅行にでかけた

その日は天気も良く 車窓から見る新緑が陽を浴びキラキラと輝き

まさに風かおる5月であった

今年は孫のために初めて鯉のぼりを四苦八苦して揚げたので 
鯉のぼりへの思い入れが強く 
車窓から
5
月の空に翻る鯉のぼりを期待していたのだが

道中鯉のぼりを見たのは 
南阿蘇の高いクレーンに揚げられた鯉のぼりのほかに3
つほどで

いささか拍子抜けして帰ってきた

ついこの前も 昭和の日に孫の初節句をするということで

鯉のぼりの男 として勇んで 馬ならぬ飛行機で成田に降りたのだが

成田から東京の空に鯉のぼりを見つけることができなかった

そして4日ほど東京の街をウロチョロしたが 

スカイツリーや東京タワーをバックに翻る
鯉のぼりを見ることがなくがっかりであった 

かろうじて帰る日に 孫の住んでいるアパートの階下のベランダに

団地サイズの鯉のぼりを 2つ見たことがせめてものすくいであった

少子化 住宅事情 生活環境 価値観の変化と いろんなことが考えられるが

鯉のぼりを揚げて祝うということが すでに時代遅れになったのかもしれない


バス旅行の楽しみは缶ビールを飲みながらワイワイやることだが

今回もビール工場見学や昼のバイキングでビールを飲み過ぎ 

いい気持ちになり 帰りのバスの中でウトウトしていたら 

友人のお袋さんが100年の生涯を終えたとの連絡があった 

この23日危ないとは聞いていたが 

私は3年前母親が旅立っていった時のことを思いだした

ぽっかりと穴が開いたように虚ろになったことを覚えている

友人もお袋さんが10年来施設にお世話になっていたので 覚悟はしていただろうが

いざ現実になると……

友人のお袋さんには学生の頃よくお世話になった 
正月など友人の家でおせち料理をごちそうになり 
吸い物と昆布まきを 今でも思い出す

方丈記の冒頭の一節 ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にはあらず

人の世はこの繰り返しである

新しい生命が生まれれば 健やかな成長を願い 雛人形を飾ったり

鯉のぼりを揚げたりして祝う節句は 節目々の賛歌といえる

新しい生命が輝けば 古い生命も輝き寿ぐものであろう

30数年前友人に男の子が生まれたときは

新屋家の庭にスミさんの手で揚げられた鯉のぼりが 高々と翻っていたことだろう






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by minnamiya | 2018-05-07 11:27 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感

けんぼうの夢想話


               鯉のぼり

 
 風薫る季節になってきた わがまわりの山々もいつもの変哲のない深緑一色から

黄緑から淡い緑の萌木色の山肌があちこちに見られ 優しい色合いになっている

桜から新緑のこの時期は 季節のありがたみを一番感じるようだ

大型連休が近くなり 目に青葉 山ホトトギスの 季節が訪れようとしている

昨年の暮れ息子夫婦に男の子が生まれたので 今年は鯉のぼりをと思い 

4月の初め近くのスーパーに物色にでかけた 

すでに端午の節句のコーナーがあり 鯉のぼりから 武者幟 5月人形もいろいろと目移りがする

我が家の周囲でよく目にするセットをみると 鯉のぼり 武者幟 そしてアルミポールを含めるとかなりの値段である

昨年の暮れ一生に一度の贅沢と 清水の舞台から飛び降りる思いで買ったオーディオアンプよりも高い

かわいい孫を思うと また飛び降りるのもいいのかもしれないが 

流行に流され 売り側の言いなりになるのがいやであった

何か手立てはないものかと思っていたら 

女房が息子たちのために 親父とお袋が揚げてくれた鯉のぼりがあるかもという 

もしあったらそれを使おうと お袋の家の物置を探してみたら 

箱の中に綺麗に仕舞われた鯉のぼりがあった

だして見ると新品とほとんど変わらないようだ

鯉のぼりがあったから 次は揚げるための竹竿である 

早速近くの孟宗竹林に行き 合いそうな竹を探す 

鯉のぼりの大きさからして長さが10mぐらいはいりそうだ

竹を切るのは簡単だが 切った竹を倒し それを適当な長さに切り 

そして庭まで運んでくる 竹一本に一日がかりである 

庭に穴を掘り 倒れないように支柱をして 竹竿を立てる 

それが力のいる難儀なことで 女房に加勢をもらい四苦八苦しながらなんとか立てた

そしてもうひとつ 天辺の矢車である 

女房曰く 風が吹けばうるさく 近所に迷惑がかかると 

我が家の周りは空き地だらけで迷惑をかけそうな家もないのだが

確かに風が吹けばからからと煩そうなので 

もう一工夫 杉の葉で杉玉を作り 竹竿の天辺につけた

なんとか準備も終わり いよいよ鯉のぼり揚げである 

ロープに吹き流しから順番に付け引っ張る するすると鯉のぼりが揚がっていき 

風のなかでいきおいよく泳ぎだす 

30数年ぶりに陽のめを見た鯉のぼり ぴかぴかとし堂々たるものである 

近くで様子を見ていた我が家の猫 タヌ子 が 今にも飛びつきそうな目でじっと見ている


私どもの子供時代は貧しいもので 

鯉のぼりを揚げてもらった同級生が何人いただろうか

鯉のぼりは歌と本の中でのものであったが
経済の成長につれ 鯉のぼりの数も多くなり 5月の空はにぎやかなものになった
しかしこの10年 少子化とともに徐々に少なくなり 昨今は数えるほどで
この先どうなるものかいささか気になるところである

やはり5月の空は 甍の波と 雲の波 ~ 橘かおる~
この歌とともに 我が里のあちこちに鯉のぼりが翻る姿をいつまでも見たいものだ


大空に タヌ子目掛ける 鯉のぼり 
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by minnamiya | 2018-04-26 17:05 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

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けんぼうの夢想話

修二会

気をもむ桜の季節も 3月とともにあっという間に終わってしまった

去年は 一生に一度は吉野の桜を といわれる吉野山に花見に行き

奈良の駅前に泊まった その頃 奈良散歩 という本を読んでいたので

東大寺界隈を歩いてみたくなり 朝早く起きて一人でぶらぶらした

その本のなかに 東大寺はどんな分限者にたのまれても葬式はしないと あった

私にとって お寺は死者をおくり 葬式をするところなので

お寺が葬式をしない なぜなんだと思った

その疑問はいろんな本を読むうちに 少しずつ分かってきたが

私のまわりの仏教と 東大寺の仏教とは仏教と名がつくものの
ぜんぜん別なものであった

父母をはじめ縁者を仏の教えのもとでおくった身として 
仏教のイロハのイを知らなかったことはショックで 
それから仏教についても歴史についても もう少し知ろうと思うようになった


3月になるとテレビでよく目にする 東大寺の
お水取り(修二会)は 

正式には 十一面悔過法 というらしい 

二月堂の御本尊十一面観音の前で 過ちなどを懺悔する修行であるという

東大寺建立752年から行われ 一回も休んだことはないという 

私は修二会の中身については分らないが ただどんなことをするのか興味があった 

そして修二会のなかで これまで東大寺に貢献した人々が読み上げられる

過去帳を聞いてみたかった いってみれば東大寺の歴史である

夜の八時前二月堂に行き 石の階段を上っていくと 

回廊の大仏殿を見下ろす西側の扉が開いており 中から朗々とした声が聞こえ 
そして蝋燭の灯りのなかで 人影が動くのが帳を透して見えた 

帳の外側は修二会の様子を 息を潜めてみている人々で一杯だった

これが修二会かと思い しばらくは回廊から中を窺っていたが 

次第に風が冷たくなってきたので お堂の中の人々のなかにもぐりこんだ

帳の向こうの修行僧の影が大きく見え そして声明のような声が堂内に響く

立川澄人を思わせるバリトンのいい声が そして人影が動き木沓の音がする

座った当初は30数人ほどいただろうか 時間が経つうちに少なくなり

過去帳読誦の頃には20人ほどになった

いよいよと思い聞き耳を立てる 冒頭の大伽藍本願聖武皇帝 光明皇后は分ったが あとの名前は分らない 源頼朝はまだかまだかと待っていたが なかなか出てこない

読誦にも節がついており お経を聞くようなものである 

時間からしてそろそろと思っていたら 大きな昂揚があり そのあと一呼吸おいて 

当寺造営ノ大施主将軍頼朝ノ右大臣 と読み上げられた 

そしてしばらくして 青衣の女人 も

奈良散歩 では読み上げられる度に その人が立ち現れるようだと書いてあるが 

過去帳のなかで私がおもい描ける人物は教科書の源頼朝しかなく 
読み上げられた時は 久しぶりに会う中学時代の友人のようにおもえた

修二会はそれから明け方の3時まで続くので 今回はここまでにして帰ることにした

お堂の外に出ると 回廊からは奈良の街灯りが 思った以上に明るい

二月堂の階段を下り大仏殿の方へ

大仏殿の横を通りながら 去年は大仏様にはお会いできなかったが

今回は午後に奈良に着き その足で大仏様にお会いしてきた


大仏様はいつものように静かに座っていた おだやかなお顔をじっと見ていたら 

しばらくして大仏様の声が

よくきたな   お前の訊きたいことは分っている

お前の御先祖様が 私の開眼供養会の時にいたかということだろう

あの時は前の庭に1万数千人いたと思うが お前の御先祖様になるものが

後ろから5列目にいたし 12列目にもいた

ひとことでいえば この国に住んでいるほとんどの人の御先祖様がいたということだ

なになに まだあるのか?

お前にも孫が二人できた! 

その孫の時代が心配だということか

孫の時代が心配ということは人間たちの戦争のことだな 

今世界は一発触発の状態だが 北の金ちゃんや海の向こうのトラちゃん 

そしてこの国を治める者達までも いやはや危ういものだ

私の鼻息で吹き飛ばすのは簡単なことだが 
人間のことは人間どうしが解決しないとな 

私にできることはここからこの国を見守り 宇宙を普く照らすということだ

そして少し間をおいて
遠慮がちに また来いよ といいながら 片目をつぶったようなきがした


時間が遅く誰とも会わない 
南大門を出る時は23時30分を少し過ぎていた


水取や こもりの僧の 沓の音  
(
芭蕉)



吉野山
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大仏様
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二月堂から奈良の街
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by minnamiya | 2018-04-03 14:31 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感


けんぼうの夢想話

山の辺の道


 山の辺の道は日本で最も古い道といわれている 3月の初め東大寺の修二会(お水取り)をみたあくる日 貞則とその山の辺の道 天理から桜井までの約16kmを歩いた 

天理の駅に私の方が早く着き 貞則を待つことだろうかと迷ったが 
携帯もあることだし そのうちに追いつくだろうと 石上神宮の方へ先に行くことにした 

石上神宮は鬱蒼とした大樹の中にあり 時間が早いせいか丹念に掃き清められた境内には誰もいない

やや小ぶりではあるが檜皮葺の瀟洒な楼門 拝殿が見事なものである

拝殿は国宝に指定されている ここにはもう一つ摂社出雲建雄神社の拝殿も国宝である
しばらく二つの国宝を観ながら石上神宮の境内をうろうろしていると貞則が参道をホイホイとやってきた

その日は少々風が肌寒いものの 昨日とはうってかわって 空には青空が広がっている


お水取りに行く前 奈良の町で 貞則 正明 定夫とテーブルを囲み
焼き牡蠣を肴にビールを飲んだ 
目の前の山もりの牡蠣を見ながら 
ついこのあいだ文化通りの友達連中と 牡蠣小屋に行ってビールを飲もうと 盛り上がったばかりで 
それが海のない奈良のど真ん中で実現するとは

貞則 正明 定夫とは中学2年の時同じクラス5組であった
ケネディ大統領暗殺のニュースが海の向こうからから飛び込んできた年で 
その時のくりくり坊主の少年たちが50数年後 奈良のど真ん中で 
牡蠣を肴にビールとは   面白いものである
その日は春何番かの荒れ模様の天気で ビールから焼酎になる頃には外は土砂降りになった
こりゃ こりゃ わぜっか雨と風じゃっど お水取りに行かでくどかい と みんなが私を脅かす 

こんなこともあろうかと 今回は山用の雨具 靴 ダウンの防寒着と雨はもとより雪が降ってもいいように完全装備をしてきた


この1~2年 暇があれば歴史紀行ものをよく読んでいる

わが国の歴史をかたるには どうしても大和からになってしまう 

早い時代は史実としては曖昧なところが多く想像の世界になるが それゆえロマンを掻き立てるのかもしれない

今回は山の辺の道を歩き 万葉の時代を感じてみたかった 

それと日本で最古の神社といわれる 大神神社(三輪神社)とそのご神体三輪山を見たかった


軽トラックがやっと通れる山裾の田畑のなかの道を歩いて行く 
まだ季節が早いのか行きかう人も数えるほどである 

山の辺の道は石上神宮 三輪神社などの社寺や あちこちにある古墳群と 

歩くだけでなく 見るほうもいそがしい 
それにしても古墳の多いこと なかでもヤマト王権の創始者といわれる 
崇神天皇陵(行燈山古墳)は 馬鹿でかい前方後円墳である
山といっていいほどの大きな
丘の周りを濠がぐるっと囲んでおり 
これが墓かとその大きさに驚く 

それよりもすぐ近くにある日本武尊の父親といわれる景行天皇陵(渋谷向山古墳)がもう一回り大きいらしい

ここにはそんな馬鹿でかい墓を 造れるだけの人と財力と権力があったのだろう
そしてその必要性があったということだろうか

ヤマト王権は天孫系の崇神天皇勢力による征服王権であるという 

もともと三輪山の麓には天孫系と違う勢力が住んでおり 三輪山をご神体として崇めていたようだ 
その既存の勢力を崇神天皇勢力が 他所からきて攻め滅ぼし 新しくヤマト王権をおこしたという

崇神天皇陵のすぐ上にある小高い場所から大和盆地が見渡せ 奈良から明日香までと

ずいぶん広いものである その左の方に大和三山が幽かに見える 

大和三山を遠くに見ながら 大和は国のまほろば ということと 
この国の覇権を巡る争い 乙巳の変や壬申の乱などが

千年以上前 この地であったことを思った

それだけ大和盆地は人々の溢れるエネルギーを溜めるに適していたということだろう


山の辺の道は案内標識はあるが 迷う所もあり 思った以上に時間がかかった
貞則といろんな史跡が現れるたびに あ~だ こ~だといいながら歩く

大和の古い時代のことから 薩摩のこと 加世田 川畑 舞敷野の話と 
とりとめのない話が続く 

そして孫の話もでてきた 

先ほど貞則に電話があったが 孫のことだったらしい 孫が保育園で熱がでたからカミさんが迎えに行ったという

またこんなことも 中学校の2年の時11組に恵美ちゃんというショートカットのかわいい娘がいただろう あの娘が好きでな あの娘は卓球部で おれは剣道部だったから講堂で剣道の練習をしながらよく球を拾ってやるものだった

へぇ~ 貞則にもそういうことがあったのかと 初めて聞く話である

顔を見ると少し照れているようだった……

そして貞則が あの時代この辺りに生まれていたら 崇神様に朝から晩まで穴掘りにこき使われて 焼酎でダレヤメどころじゃなかったかもしれんな と……

たしかに朝から晩まで崇神様に穴掘りにこき使われていただろうと思いながら

お互いに剣道ができたり 野球ができたり また牡蠣を食いながら旨いビールを飲めることを感謝したいものだ


三輪山はこんもりとした品のいい山で まさに神備山である
山の辺の道もあとひと月もしないうちに あちこちの山肌に桜が咲きそして しらたえの 衣ほしたる 天香久山 の季節も近いことだろう





東大寺二月堂
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石上神宮
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内山永久寺跡
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菜の花と大和盆地
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山の辺の猫2匹
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山の辺の道と三輪山
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大和三山を望む
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三輪神社
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by minnamiya | 2018-03-22 17:22 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感

けんぼうの夢想話

千両役者

毎年秋になると行きたいところがある 紅葉の涸沢である

最近テレビで日本百名山の番組とか ○○の絶景 とかの番組を目にするが

秋の紅葉シーズンになると 紅葉の名所として涸沢もよくでてくる

そして涸沢だけでなくもうひとつ

涸沢の上にある北穂高岳の山頂にある北穂の小屋である 
そこでうまい酒を飲みたくなるのだ

3100mにある日本一の酒場である


その日本一の酒場に学生時代の友人とやって来た

涸沢を午前5時に出て奥穂高岳 涸沢岳を経て北穂高岳の頂へ午後1時ごろについた
あしかけ8時間の行程である

山頂は雲の中おまけに風も強い こういう時は小屋の中でのんびりするしかない

テレビもラジオもないので夕食まで寝ていることにした

2時間ほどウトウトしただろうか 夕食(5時半)前になり まわりが騒々しいので どうかしたのかと思っていたら

友人が 槍が見えるという

槍が見える! それならと 布団から起きだして小屋の前のテラスに出ていった

すでに数人が手に手にカメラを構えている

槍ヶ岳のほうを見ると 槍ヶ岳はまだ雲の中だが

西の空にぽっかりと穴が空き 青空が見え そこから夕日が射している

しばらくすると槍ヶ岳にかかっている薄絹のような雲が

谷からの風に吹き上げられ だんだんと切れだした

そして槍の頂が少し見えてきたら 隣にいた栃木から来たという元気なお兄さんの

でろでろ と掛け声の大きいこと

さすがの槍ヶ岳もその声に圧倒されたのか 頂だけで なかなか姿を見せてくれない

その頂もすぐに湧き上がる雲にかくれた

しばらくして また頂が出てきたかと思うと すぐ雲にかくれる

今度は足元が少し見えたかと思うと すぐ足元から湧き上がる雲にかくれる

そのたびにお兄さんの掛け声が大きくなる でたでた とか でろでろ とか

寅さんの映画にありそうな ドタバタ芝居のような騒ぎである

風が強く寒いなか待つこと10数分 やっと気を揉ませる雲の妖艶なショーが終り

槍ヶ岳が姿をあらわした

全身に夕日を浴び 穂先がすくっと天空を指している 一分の隙もない

いよー まってました と声をかけたくなる


その晩は日本一の酒場で栃木の元気なお兄さんといっしょになった

お兄さんがテーブルに出したのは お手製の梅酒と 自分で作ったという大きなピーナツを茹でたものだった 3100mの頂で大きなピーナツに出会うとは!

つい1週間前地元の十五夜の綱引き会場で 焼酎のつまみに 珍しいものがあると

でてきたのが 茹でた大きなピーナツで それがたいへんうまかった
またお目にかかるとは 面白いものである

それにしても自分で作った酒とつまみを 3100mの頂まで持って上がり

味わう酔狂な人がいるとは ……

酒の方もビールからお兄さんの梅酒 そして最後は芋焼酎のお湯割りとなり

もう一杯と 閉店近い時間まで とりとめのない山の話で盛り上がった


すっかりいい気持になり このぶんなら明日もモルゲンロートの槍ヶ岳が拝めると期待して寝たのだが

そんなにうまくいくはずがない 明け方屋根をたたく雨音で目が覚めた

思わず 雨かぁ という言葉が口からでた

雨となれば怪我のないように慎重に下りるだけである

雨が強くならない前にと 合羽を着こみ小屋を早めに出た

岩尾根を友人が先に行き 私があとから慎重に下りていく

年がいくと登るより 下りるほうがやっかいになってくる

日本百名山踏破に あと吾妻山一つという山の猛者の友人だが

この数年膝が悪く 両手に杖(ストック)を突いている

私も彼にまねて ストックを使うようになったが まだ2回目であり 上手くいかない

雨の岩場は滑りやすく 途中鎖場や長い鉄梯子もあり 気をつかい体力も消耗する

そして日頃の鍛錬が足りないようで 下りるうち次第に太ももが麻痺して

力がいらなくなってきた 下りのなんでもない所で転ぶこと2,3回 
友人にかなり遅れ 這う這うの体でなんとか横尾にたどりつく

横尾までくると雨も止み 合羽を脱ぎベンチでいっぷくし一息ついた

この先は上高地まで転ぶような下りもなく ひたすら歩くだけである


黄や紅に紅葉したダケカンバ
カツラ カエデに彩られ

砂糖を焦がしたようなカツラの黄葉の甘い匂いのする梓川添いの道を

友人と前後して黙々と歩く

ここまで来ると 山の上とは違い 張りつめていたものも緩み

歩きながら口数も多くなり 今回の山行や あの頃のことなどを

あーだった こーだったといいながら 軽口も出てくる

それにしてもこの道は あの頃から変わってはいない

行きかう人も相変わらず多い 我々シルバー組から若者まで 
そして外国の人々までいろいろである
ときたまヘルメットをリックの上にのせた若い娘さんの一人、二人組にも行きかう

我々の頃はまだ山男の時代だった

山登りに対する考え方が変わったということだろうか

人はなぜ山になぜ登るのか この素朴なことを先に行く友人に訊いてみたくなったが

後姿が まだまだ より高く といっているようで

あまりにもバカバカしいのでやめた

頭のなかを あの湧き立つ雲と槍ヶ岳 をはじめ

いろいろな情景が次から次へ駆け巡っていく

そして疲れ切った身体に 終わったという大きな安堵感と充足感があり

その一番真ん中にあるのは 彼と46年ぶりに この道を歩いているということだった



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by minnamiya | 2017-10-29 10:16 | ふるさと雑感 | Comments(0)  

ふるさと雑感



けんぼうの夢想話

 なんとなく


 愛燦々と という歌がある 美空ひばりが30年前に唄った歌で 小椋桂の作詞作曲で 人生は妙味なものだという いい歌である なかなか燦々(さんさん)と読めるものではないが この歌を聴くたびに さすが古今東西一の歌姫だと思っている美空ひばりだし 小椋佳の透明で潤いのある品のいい世界が広がってくる 

今でもカラオケで唄う人も多いようだ

この 愛燦々と を含む美空ひばりの歌を 中秋の名月の日(10月4日)
私の住んでいる川畑の 15夜大綱引き大会 の会場でBGMとして流した

小さな田舎のイベントではあるが 4年前から屋外用の本格的なPA(音響装置)を使うようなり 会場の雰囲気が格段によくなった

夕方会場の準備が終り PAのテストを兼ねてこのBGMを流してみた 
美空ひばりの屋外コンサートを聴いているような 臨場感があり迫力満点である
港町13番地 の軽快な歌で始まり 旅笠道中 そして 愛燦々と と続いた 

この 愛燦々と を聴くうちにアレッと思うところがあった 

○○タチハ ヤサシクマツゲニ イコイ という歌詞のところである

これまではハトたちが空を飛びまわる様を歌っていると思っていたが 

どうも○○がハトとは聞こえないし ハトたちがまつ毛にいこう?  どうも違うようだ
2番になると ミライタチハ ヒトマチガオシテ ホホエム と聞こえた
ミライタチ? とはどういうことだろうか思い 

スマホで歌詞を検索すると 便利なものですぐに出てきた 

1番は 過去 で2番は 未来 である なーんだそういうことか

歌詞を見てやっとその意味がわかった

~人は悲しい悲しいものですね~それでも○○たちは~ にいこう の歌詞の前後から
○○をハトであると勝手に思い込み ハトが空を飛びまわる様を思い描いていたのである

過去の人たち 未来の人たちと するとよくわかるのだが 
そうすれば説明調の変哲のないものになり 歌詞としての緊張感がなくなる 
それが詩であるし 小椋桂の世界であるのだろう


話は大きく変わるが イッショケンメイということばがある 
あの人は
○○にイッショケンメイだというように 日常会話でしばしば使われている

そのイッショケンメイについて ある本を読んでいたらいがいなことが書いてあった

これまで漢字でかけば 一生懸命だと思っていたが 一所懸命であるという

辞書によると 全力をあげてものごとに打ち込む様 
賜った一カ所の領地を生命にかけて生活の頼みとすること だそうだ

およーょー である 人生の第4コーナーを走るころに知るとは 

4字熟語を勉強している受験生ならば分ることだろうが 

そんな一所懸命な頃はもう半世紀前になってしまった

振り返ってみると 思い込み かん違いがなんと多いことか 
なんとなく生きてきたことを悔やむばかりである

おのれのことはさておき 最近世の中もいい加減で手前勝手で無責任なことが多すぎる

今度の選挙もそうだし 我が国を代表する企業のなんとお粗末なこと

戦後70年これまで我が国を引っ張ってきたと思っていたものが

今ガタガタと音をたてて壊れていくようだ

もっと一所懸命にならないと これからの子供 孫の時代が思いやられてならない

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by minnamiya | 2017-10-21 16:52 | ふるさと雑感 | Comments(0)